M性感と言うジャンルの歴史はそれほど古いものではなく、1996年頃に新風俗店として認知されたと言われています。
どこが最初と言うのは定かではなく、うちが一番最初と言うような言葉も多々聞きますがその本質は解りません。
当初の頃は「美療」という言葉を使用いて、性感マッサージや前立腺マッサージサービス等を行っていました。無論現在でも美療と言うネーミングでM性感的サービスを行っている風俗店は多々あります。美療とはヨガからの考え方から発祥していて、男女問わない若さや健康を取り戻すための治療方法の考え方からきているようです。美とは‥表面の美しさにとらわれない内面から追求するもの。療とは‥誤りを修正し本来の自然の美しさをとり戻す事‥と言うような考え方の下‥『美療』と言うネーミングで行っているようです。それは女性へ向けた内容にも聞こえますが、その内容を男性性感サービスにも取り入れたようにも思われます。当時は男性のM気質とその性癖等が現在ほど市民権を得ていなかったため、かなり変わった嗜好の性感サービスとされていました。その言葉の意味合いからしても性快楽を堪能するものと言うよりは、身体機能改善や内面からの美しさを取り戻すと言うような意味合いが強く感じられ、エロス的性快楽とはかけ離れていたようにも思われます。美療と言う基はインドのヨーガ哲学が基のようです。
M性感サービスの代名詞とも言うべき『前立腺マッサージ』の歴史はかなり古く、インドのタントラ哲学からが発祥で、数千年前から行われていました。当時の皇帝にすばらしい快楽を提供するためにいくつかの指圧マッサージと『会陰と前立線』を刺激する快楽を提供しました。それは、タントラマスターと言うタントラ境地をなし得た人物に技術指導のもと行ったようです。タントラ教とはその宗教集団がある訳ではなく、バラモン教(ヒンドゥー教)・仏教(密教)問わずタントラと呼ばれる経典を奉じる、インドの神秘主義的教団の欧米における総称です。
前立線マッサージは、東洋において数千年の歴史があると言われています。本来前立線マッサージの目的は、慢性前立線炎、前立腺疾患、不妊、良性前立腺肥大症(BPH)と勃起不能改善などのため処置改善に古くから行われていて、現在ではその医学的効果も証明されています。
☆M性感と言うジャンルが‥1990年代前半頃から少しづつ世間に認知され始めたその背景と語源には、古くからマニアの間で絶大な人気を得ていたSMと言うジャンルの人気が薄らぎ始めたりしていった要因もひとつにはあるかもしれません。それと同時に新風営法が新しい規則になったりもしました。
古くからあるSM店等がかなり閉店に追い込まれその姿を消していったのは事実です。無論実績あるSM店は生き残りさらなる進化を遂げて発展してます。
その時代前後からなぜ下降気味になっていったかよく解かりませんが、推測するに本物の女王様が卒業していったり、M気質男性や一般の男性の求めている性癖が、年々時代とともに若い世代になり性趣向が変貌していった。‥痛いのはやだけど、SMプレイみたいな事には興味がありしてみたい‥でもマゾでもない、あまりきつく言われると腹が立つ、萎える、女性主導的傾向が強くなっていっている、草食系男子などの受身的男性が年々増えている、潜在的にM気質だった本質が社会現象と共に自然とさらけ出せる、自分も少し責めたいけど自身がない、犯されるのも興奮する‥等様々だと思います。女王様主体SM店はSとM(客)のロールプレイですので、M男性にとっては女王は絶対的存在でもあります。ご奉仕としてしか性願望が叶えられないなど、‥性趣向が多岐に渡り新しいジャンルの風俗店も多数でき増幅していき影が薄らいでいったのかもしれません。SMと言うジャンルもマニア層としては限られており、ヘルス的サービスを求める客層の方が圧倒的に多い事から、‥古くから『してもらう受身的快楽』の奔りの前立線マッサージやSMのSを取ったM(受身)のM男性の求めるサービスプレイへの変換とSMのSでのプレイの部分的要素(言葉責め/隠語責め‥他)とヘルス的サービスの中間的サービスを行う目的で『M性感』と言うジャンルが確立していったと思われます。時代とともにM性感も下火になったりまた世代交代需要の高まりなどで盛り上がったり、いつの時代もその波は繰り返すものです。