ボンデージ&フェティッシュ衣装の時代背景

◆1940年~1959年代
SM・フェティッシュ黄金時代に活躍したジョン・ウィリーやエネグ・ジムと言った画家たちによるイラストレーションを初めて見た時に思春期だった私は、少年ながらさらなる衝撃を受けた。ジョン・ウィリーはイギリス人だがニューヨークに渡りその才能を開花した人物。1946年に創刊した『ビザール』なるマニア雑誌を創刊。多彩なコスチュームや拘束具で姿体を描いた作品には創造力をさらに膨らませた。40年代末~50年代にかけてSM・フェティッシュの黄金時代を築いたのは有名。

◆19世紀末から20世紀初頭…先駆的なSM写真・SM画家のデ・カルロ等のファッションアイデアの基
『ウエストを40㎝以上締めるコルセット』や『太腿までの編み上げブーツ』、『頭の上から吊り上げ、つま先まで一本棒』のようにして包み込んでしまう全身革の『拘束具』。このようなコスチュームや装飾具の進化はヴァリエーションを増やし、60年代以降アンダーグラウンドの世界から一般のファッション世界へ、そのスタイルを活用し進化していった。その後、コミック、ポップアーティスト、映画、音楽/パンクなどのコンセプトに引き継がれていく。

◆1960年代後半~1970年代にかけて
ヘルムト・ニュートンは、そのSMやフェティッシュ写真のもっとも正統的な後継者とも言える。1970年代初期、『ヴォーグや『エル』等の一流ファッション誌のカメラマンとしても活躍していた。
1950年代SM雑誌の写真家でアーヴィング・クロウもまた『ビザール』雑誌が生んだ写真家の一人で、べディ・ペイジをモデルとしたSMボンデージ写真なども多く撮り、ボンデージマグなどの通信販売雑誌にも関わり、ボンデージ写真家の立役者の一人とも言える。
ジョン・ウィリーの後を継いだ、エネグやマリオといったSM・フェティッシュアーティスト達は、外形だけの『拘束』に終始したり、切断、突き刺し・誇張、巨乳趣向へ進んでしまう中、ニュートンはロールプレイにおける性の形体を追求し続けてきた。ニュートンの吟味されたコスチューム使用(革・ラバー・絹・ブーツ・コルセット・ストッキング・ハイヒール)は、白いグラマラスな肉体に拘束の演出によって繰りなす直線と曲線の誇張されたフォルムは、SM・フェティッシュな魅力を帯び、『匂いや肌触りまでも伝わってくるような仕組要素』が詰まっている。
ニュートンはハイヒールの写真家としても有名だ。ハイヒールを履くと背中にある種の力強さや緊張感が生まれ、身長は高くなり、ヒップは持ち上がり、背筋が伸び、バストが吊りあがって前に突き出て、性器自体も前方にせりでることになる。その歩き方が男の感情をくすすぐり、潜在的な征服欲あるいは服従したい心理を刺激する。ヒールの高さは高ければ高いほど効果的であり、それは走行のための靴ではなく、ある種の不自由さを伴うサディステックな『拘束具』であり、性的な代替物として女性を性的に見せるための小道具である。

◆サディズム(Ssdism)とマゾヒズム(Masochism)‥ウィキぺディア参照
サディズムとマゾヒズムがアメリカ人趣向に入り込む1950年代
サディズムとマゾヒズムが西洋のアメリカ人嗜好の中へ入り込むのは1950年代。
…19世紀末のヴィクトリア王朝時代に地下世界で繰り広げられていた、
コルセットや鎖、革具といった女体拘束具によるSEX/SMプレイや1920年代以降のハリウッド映画のコスチューム、
さらにSFコミックなどのアメリカのポピュラー・カルチュアのイメージなどが20世紀後半に重なり合い、
表現として独自のスタイルを完成したのが、SMFアートと呼ばれるコミックや写真、イラストレーションです。
『黒いハイヒール・ブーツに黒いストッキング、革製コルセット、黒革ロング手袋にアイマスクといった、
絵に描いたようなSMスタイルができあがったのはまさにこの時代
…その原型はヴィクトリアン・ピリオドのランジェリーファッション。

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